軽やかな人生を自分次第でつくると裏腹な時期
多くの人脈に恵まれ、資格も片っ端から取れるものは取り、office-asajiのコーチングはその当時「コーチング」という言葉が物珍しかった事もあり、引く手あまたのオファを得られる時期となる。そうなればお決まりのごとく、私はどんどん有頂天になっていった。
家庭は省みず、仕事が「使命」と勘違いをし、昼も夜も仕事をする。当然、家庭のことは疎かとなり、ついには離婚。それでも私は、自分の仕事で生きていけるとタカをくくっていた。2011年の東日本大震災が起きるまでは・・。
狂ったように仕事と資格習得に時間を割き、自分を守るのは自分だと。経済も精神も疲弊していることにも気が付かず、取れる仕事はどんどん取っていった。では、そのクオリティはどうだったか?と問われれば、本当に酷いものだったと思う。そして、私は2012年から2015年の3年間コーチングから追放される。
そこまで自分を追い込まなければ、自分が壊れても仕事をし続けていたと思う。
2014年
陶芸との出会い。土と戯れ、土と格闘しているうちに私の心はどんどん癒されていった。物作りは私にとって、とても苦手な分野だった。自他共に認める不器用な私が、それでも陶芸の場に通い続けているうちに、少しづつ形となり、少しづつ思い描くものが作れるようになっていく。その喜びとともに、私は平常心が戻ってきた。
2014年〜2016年
約1年と半年の間、週末は全て陶芸と向き合う日々。ここで思ったのは「苦手意識」とはただトレーニングをしていないだけなのだという実感。自分のみっともなさに向き合いたくないがための「苦手意識」という隠れ蓑。
気がつけば、周りには救いの手を差し伸べてくれてる人たちがいた。そんなことにも気が付かず私はとても視野が狭い状態でいたことに気がつく。
素直に。素直に人の言葉に耳を傾けよう。